旧kanbun.net記事
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「所」の単性化について

「所」は品詞で言えば複性詞と言われる者で、これは名詞や動詞が単性であるのに対する名称であります。では何故に複性と言われるのかと申せば、「所」には副詞的に客体を指し示す副詞的用法と、「所」以下の語を統率して最終的に全体で名 …

疑問副詞「何(奚)」の用法

「何」は本来は純内包詞、すなわち品詞で申せば副詞(ナンゾ)、副体詞(ナニノ)、動詞(イカン)などの如くに用いられますが、外延を帯びれば無論名詞(ナニ)にもなります。ただここで扱いますのは副詞としての「何」であります。松下 …

『漢文は解釈有りて後、訓読あり』

明治昭和の東洋学者、井上秀天氏曰く、 (作麼生免得此過、具透關眼者(、試舉看))この二句を、古来「作麼生かこの過ちを免れ得ん。透關の眼を具するものは、(試みに挙す看よ)」と云ふ風に、下の句に続けて訓読して居るが、私の見解 …

「有其善」(書経・說命中)を如何に訓むか

有其善、喪厥善、矜其能、喪厥功 (書経・說命中) 「其の善を恃みとすれば、為に人から善有りとせられず、其の能を以って威張れば、為に却って人から有能とはせられない」といったような意味であります。其れは漢文自体からも分りまし …

客体概念の扱いについて(廣池千九郎氏の『支那文典』より)

『支那文典』七百七十五項に以下の如き例文あり。 使弈秋誨二人弈、其一人專心致志、惟弈秋之為聽 (孟子告子上) 先公少孤力學、咸平三年進士及第 (歐陽修瀧岡阡表) 醫生全通從八位下叙、通八以上大初位上叙 (大寶令) 而して …

初見の漢文の読み方

吉波彦作氏の『漢文研究要訣』に曰く、 凡ての白文を訓読しようとするに際して、最もの捷径であり適切であり確実であるものは、造句法から考察することである。造句法の概要に熟達しておるならば、如何に未見の白文でも容易に訓読するを …

「神罔時怨」の「時」について

根本通明先生の詩経講義に、 惠于宗公、神罔時怨、神罔時恫 (詩経・大雅) この「時」を「この」と訓んである。「この」すなわち副体詞として訓むことが間違いとは言えないにせよ、其の場合は山田孝雄博士の語を借りれば「この」は「 …

漢文学習法

昭和の英語学者 田中菊雄氏の『英語学習法』に以下の如きことが記されてありまして、また我々の勉強を鞭撻するところもあらんと思いますのでここに引用しておきます。 尚「虎の巻」のことについて或る高校生で英語の秀才が嘗て余(田中 …