独学漢文法
初めての方へ

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当サイトは、以下のような句読も訓点もなにも無い漢文、すなわち白文を自力で読めるようになることを目標として、漢文法を徹底的にやろうということを其の趣旨としております。

曾子寢疾病樂正子春坐於床下曾元曾申坐於足童子隅坐而執燭童子曰華而睆大夫之簀與子春曰止曾子聞之瞿然曰呼曰華而睆大夫之簀與曾子曰然斯季孫之賜也我未之能易也元起易簀曾元曰夫子之病革矣不可以變幸而至於旦請敬易之曾子曰爾之愛我也不如彼君子之愛人也以德細人之愛人也以姑息吾何求哉吾得正而斃焉斯已矣舉扶而易之反席未安而沒 (『禮記(檀弓)』)

上記は明治昭和の漢学者、簡野道明先生の編纂された『新編漢文讀本』の第五巻(上級生用)に掲載されておるものですから、戦前の学生と雖もしっかり勉強しておる者でなければそう簡単に読み下せるものではないと思いますが、文法的に見ましても漢文の特色がよく表れたものであります。たとえば、「元起易簀」の部分は、これを「曾元が起って簀(竹のむしろ)を変えた」と解しますと、その後の「至於旦請敬易之」の部分、すなわち「明日になりましたら変えて差し上げましょう」という意味の部分とどうも話の筋が合わなくなる。そこでこれはどういうことかと申しますと、「元起易簀」が実は曾子の言葉で命令調にあるものではないかと考えるに至るのです。そう考えると、「」は「元が」という主語を表すのではなく、「元よ」という一種の呼びかけであり、また「」は単なる終止格ではなく、「起て」という命令であろうことが推測できるのです。これは解釈から文法を決定したのでありその反対ではありません。見た目には何らの変化が無いにもかかわらず、文法的には大きく其の性質を変えることは、漢文においては決して珍しくないのです。下図(旧サイトより復元しきれず。)は「起」(動詞)、「元」(名詞)の格、すなわち文(sentence)に於いて占むべき立場に対する資格を表したものです。日本語では「てにをは」や活用によって表せるものも、漢文においてはただ語の配列や前後の文脈によって判断することになるのです。

明治昭和の漢学者、湯浅廉孫氏曰く、

漢文の如く、作者の文法と読者の文法とが、毎に必ずしも一致せざるものにありては、作者の形容詞として使用せる者を、読者は副詞として解釈し、読者の動詞として解釈せる者が、作者には名詞であったりするなどのこともあるのであるから、注意が一段と緊要である。特に一言一辞の訓詁の如き、他国語に在りては、辞典に訴へさへすれば、直ちに解決できることが、漢文に在りては、其の辞が文法的性質を標示せざるが為、特殊の考察を待たねばならぬなどとは、實に意外ではないか。 (『初学漢文解釈ニ於ケル連文ノ利用』五十六項)

書籍名なく単に何項参照とある場合は松下大三郎博士の『標準漢文法』のことですから注意してください。

  • 用意するもの

紙と鉛筆。目で見ておるばかりでは学力は付きません。必ず一度は白文を実際に書いてみましょう。それから漢和辞典が一冊あればよいです。

  • 松下大三郎著『標準漢文法』

これは用意していただく必要はありませんが、当サイトでは松下文法を理論的根拠として漢文法を述べてまいります。もし買い求められようという方は勉誠社の復刻版がよいです。中身は前のと変わりませんが、索引や解説が付いてます。私が最初に手に入れましたのは戦前のものですから索引が付いておりませんで、あの例文はどこにのっておったか、あれはどこに書いてあったかなどとずいぶんと苦労させられもしましたので、いつか詳細な索引の付いてる復刻版を買い求めたいものだと思っておりましたところが、実際入手してみたものの、勉強の際に用いるのはもっぱらよく手に馴染んだ最初のものであります。慣れれば探したい情報が松下文法のなかでどの辺の位置を占めておるかがわかってきますので、そこから大体あの題目のところで扱っておろうなどと推測できるようになります。よって本格的に勉強しようというかたはあまりこだわる必要はありません。

  • 最後に

本サイトにある記述はすべて学者でも研究者でもない一素人によって書かれておることをご了解ください。すべての記述に対して批評的に読まれんことを望みます。また質疑や批評があればどれほど些細な事柄であろうと、遠慮なさらずに寄せていただきたい。疑わしきをより確かにし、誤れるを正すことは私のみならず、すべての漢文学習者の熱望するところであります。

問い合わせ: nagayama@kambun.com