私が漢文の勉強を始めた時は無論、いわゆる参考書の類なり、明治書院の漢文本なりから入りました。そこでまあ句法や返り点などに触れるわけですが、段々と飽きたらなくなる。ちょっとそう言う書物の訓読と言うものが場当たり的なものに感じられる。一貫していないように感じられることが度々出てくるようになる。そんな次第で最終的に松下大三郎の標準漢文法に行き着くわけでありますが、そこに行くまではやはり従来の訓読でやった。今でも基本はそうであります。
ところが近頃の漢文参考書の一部では、と言いましても実際に手にとって見たわけではありませんがネットを通して見る限りに於いてはどうも文法と言うものもやる。文法と言っても戦前の漢文典の如き半端なものではなく、もっと徹底している。
例えば不でありますが、こう言うのを副詞とする参考書も出ているようであります。個人的には不の品詞につきそこまで悩んだことはない。国文法の助動詞「ず」とは確かに違うと言えば違うが、しかし単に副詞と言われてもどれほど発明するところがあるものか。「不」は上で打ち消し、「ず」は下で打ち消すと言うくらいの理解であるならば然程品詞にこだわる必要もないとは思う。古人は副詞などと言わず、管到と呼んだ。副詞だけではない。上にある語が下の語に対してどこまで効力を持つかと言うすこぶる便利な考え方で、非常に精密に漢文を読んだ。細かく文法をやるのは無駄ではなかろうが、先人の作法はよく洗練されているから煩瑣でない。わかり良い大道である。この大道から入って、その後興味が湧いたら脇道小径に目を向けると言う行き方の方が自然であると思うが如何。ちょっと思うままに書いてみた。