動詞の格には、独立終止格的、客体的、連体的、修用的、実質的用法の五つがあります。今回見ますのはこのうちの修用的用法の一つ、状態的用法であります。状態的用法と申しますのは、形容動詞特有の用法です。「高飛(高く飛ぶ)」とあれば、この「高」が形容動詞にして状態的用法であります。何が高いかと云えば「飛ぶことが高い」の如く主語を取れますから、叙述性があることがわかり、依って副詞でないことも分ります。蔡茂豐氏の日本語文法書では「空は青く晴れていて」の如き「青く」を註して、
「青く」為形容詞「青い」第二変化副詞法、青藍也
とあります。第二変化副詞法というのは「く、く、い、い、けれ」の第二活段のことです。兎にも角にも「副詞」とは云わず、「形容詞」の副詞的用法としてあります。状態的用法も此れに同じです。
さきに「高飛」の「高」の主語を仮に補えば「飛ぶこと」であると云いましたが、然らばなぜに「高」に主語が無いのか、すなわち「飛ぶことが高く飛ぶ」と云わないのかと言えば、これは所謂合主化でありまして、実は理論上は連主・連体の合主化と等しいものです。「飛ぶ鳥」の「飛ぶ」は自らの主体概念である「鳥」に従属するため「鳥が飛ぶ鳥」と云わず自身は合主化しておるわけでありますが、「高飛」の「高」も自らの主体概念である「飛」に従属するためやはり合主化しておるのであります。前者は主体概念が名詞にして被連体語で、後者は動詞にして被連用語という差があるのみです。「飛鳥」の「鳥」を主体的被連体語(主体概念を表すところの被連体語)と呼ぶのでありますが、それに擬えれば「高飛」の「飛」は主体的被連用語となりましょう。成分こそ違えど、背後にある文法上の理屈は共通なのです。
松下大三郎 『標準漢文法』「状態的用法にある語の合主化」五九六項