- 打ち消し(否定)
否定を表す字を確認しておきましょう。
「不」や「非」が副詞というのは分かり難いかもしれませんが、簡単に申せば下の語を否定的に修飾するのです。「不遠」は「不的に遠い」のです。「非君子」ならば「非的に君子である」と考えればよいです。英語の「not」に同じです。それ以外のものは皆動詞で客語を取ります。
「ナシ」の下にある「微」と「ナカリセバ」の下にある「微」とは同じです。一方は終止形であるのに対し、他方は従属的であるというのみです。ただ「ナシ」の意味に使うことはあまりありません。また「微(ナカリセバ)」の用法は、「なかったならば(仮定拘束格)」「なくとも(仮定放任格)」の二つで、文脈によっていづれであるかを判断します。「なかりせば」の「せ」は過去の助動詞「き」の未然形です。
管仲曰微君言、臣故將謁之 (韓非子・難一) 微此二人、則天下不歸漢 (蘇洵・高祖論)
前者は「君の言なくとも」の意、後者は「此の二人がなかったならば」の意。
- 城非不高也、池非不深也、兵革非不堅利也 (孟子・公孫丑下)
「兵革」は武器甲冑のこと。城が高くない、というのでない、の意。
文法的には上図のように一旦「高」を否定し、「不高」なる概念となり、其の上更に「非」で以って「不高」を否定しておるのです。結局「非不高(不高でない)」は「高」ということになります。
- 嗣子忠氏嘗謂曰或問大人少壮功業於兒兒一無所記 (木内順二・撃壌録)
「大人」は子が父を呼ぶ称。「兒」は一人称代名詞。「或」は文法上副詞でありますが、解釈上は「或る人が」と訓むとよく当たる場合があります。直訳的には「或はという場合があって問う」の如く考える。或る者が私に父上のお若い時分の手柄を問われましたが、私はまるで知っておることがありません、というのです。
「一無所記」は「一」が修飾語で「無所記」に懸かっておることに注意。「一に記するところ無し」です。この「一」は「まったく」の意。
「無一所記」とすれば上図のように「一」が「所記」に懸かる。「一にソレヲ承知しておる」というものが無い、の意で、「一も記するところ無し」と訓じます。同一意義ではありますが、其の表し方が異なるのです。