初見の漢文の読み方
初見の漢文の読み方

初見の漢文の読み方

吉波彦作氏の『漢文研究要訣』に曰く、

凡ての白文を訓読しようとするに際して、最もの捷径であり適切であり確実であるものは、造句法から考察することである。造句法の概要に熟達しておるならば、如何に未見の白文でも容易に訓読するを得ることは、私の経験上から確信して疑はないものである。

造句法には対偶法なり層畳法なり数種有りと雖も、畢竟するに句の按排法のことでして、一見どこをどのように読んで良いのか分らぬものも、造句法を応用して考察を加えれば全体の大意くらいは取れるものであります。それを足がかりに細かい分析を試みればよいのです。以下いくつか例を示しておきます。

造句法応用例(一):

德日新萬邦惟懷志自滿九族乃離王懋昭大德建中于民以義制事以禮制心垂裕後昆予聞曰能自得師者王謂人莫己若者亡好問則裕自用則小 (書経・仲虺之誥)

このままでは嫌気が差すかも知れませんが、以下の如く分解してみれば、辞書さえあれば何とか読めるところまでいけるのです。

塚本哲三氏が『更訂漢文解釈法』(五項)に、「由来漢文は概して表現が簡潔で而も典型的である。表現が簡潔だから内なる思想をほんとに徹底的に理解することはなかなか困難である。しかしながら表現が典型的であるから、其の表現慣習に習熟すれば、大抵の漢文は或る程度の正しさを以って訓読され得るものである」と述べられてありますが、これは我々が漢文を読む際には簡潔にして典型的なる表現を見抜くことの必要を説いておるのです。上記のように自力で分解できるようになることの必要を説いておるのです。上記のように分解できれば、たとえば、始めの部分の「德日新萬邦惟懷、志自滿九族乃離」も何となくであるにせよ、大まかに意味が取れるわけであります。すなわち「德日新」の場合は、「萬邦惟懷」で、「志自滿」の場合は「九族乃離」となる場合であろうことは分る。これは分らなければならない。前半に「萬邦惟懷」と肯定的内容であるのに対し、「九族乃離」が否定的な内容であろうことは分らなければならない。漢文が読めないのだから、分るわけがない、などと言ってはなりません。漢文ではなく、漢字の問題であります。前半に「懐(なつく)」とあり、後半に「離(はなる)」とあるのですから、よく対になっておること明瞭であります。それが分れば、「德日新」が肯定的で、「志自滿」が否定的であることは察せられましょう。

造句法応用例(二):

富有之謂大業日新之謂盛德生生之謂易成象之謂乾效法之謂坤極數知來之謂占通變之謂事陰陽不測之謂神 (易經・繫辭傳)

これも一見難しく見えるかも知れませんが、実は客体的提示の句を八個繰り返しておるのみです。「甲+之謂+乙(甲をこれ乙と謂ふ)」の構造です。本来「謂甲乙(甲を乙と謂ふ)」という形であるべきところが、客体である「甲」を上に出したのです。「之」は「甲」を形式的に再示する名詞です。結局「甲」も「之」も提示された客体です。

造句法応用例(三):

大學之道在明明德在親民在止於至善知止而后有定定而后能靜靜而后能安安而后能慮慮而后能得 (大學章句)

よく文字の繰り返しに注意してください。

練習問題:

有天地然後有萬物有萬物然後有男女有男女然後有夫婦有夫婦然後有父子有父子然後有君臣有君臣然後有上下有上下然後禮義有所錯 (易経・序卦)

能く句の按排に意を注いでいただきたい。漢文法として取り上げるほどのものはほとんど無いのでありますから、これは文法以前の問題であります。こういうものを兎に角も読めるようになって後、「有」の文法的性能なり、「然」の品詞なり、「後」「所」の用法なりを研究していくのです。

塩谷温氏『支那文学概論講話』(六項)にグルーベ教授の言を引いて曰く、

漢文中の品詞は代数の未知数(x)に同じく、方程式を解いて(x)の値を知りうる如く、句意を解明して後初めて品詞の種類を定めることが出来る

と。塩谷氏、次いで曰く、

然らば漢文にあっては文法によって文意を解くに非ず、文意に通じて然る後に文法を解き得るので、これを他国語の文法の研究に比較するときは、本末を顛倒せるものといふべきであります

と。


上記の如く大まかにでも句の按排を分析できた後、分かるところから読んで行けばよいのです。上からいきなり読み下そうなどとしないことです。漢文法の出番は此くの如き作業の後であります。さらに言えば此くの如き分解が出来れば、其れは既に半ば読解できておるのでありますから、いよいよ以って漢文法の世話になるには及ばないのであります。

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