「所」の単性化について
「所」の単性化について

「所」の単性化について

「所」は品詞で言えば複性詞と言われる者で、これは名詞や動詞が単性であるのに対する名称であります。では何故に複性と言われるのかと申せば、「所」には副詞的に客体を指し示す副詞的用法と、「所」以下の語を統率して最終的に全体で名詞になるという名詞的用法の二つの性能がある為に、複性とは言うのであります。

子浪費父之遺 (子が父の遺す所を浪費す)

この「所」はまづ第一性能として漠然と、すなわち副詞的に遺す客体、対象を指し示し、次に第二性能として「所」の下の詞、この場合は「遺」を統率して遺す客体を名詞的に表すわけであります。一詞にてありながら副詞的用法と、名詞的用法とを兼ね備えておるのです。これが「所」の一般的な用法であります。然るに以下のような用法があります。

有司公卿下沛郡、求捕與淮南謀反者、未得 (史記・淮南衡山列傳)

これは「淮南の謀反に関与する主体」を表しておるのならば、「所」は不要であります。不要であるものが入っておると言うのならば、単なる誤りと言うことになりますが、これについて単性化の理屈を運用して以下の如く説明できるのではないか、と思い附きましたので、それをメモしておきます。

複性詞には「所」以外にたとえば「盍」(なんぞ~せざる)がありますが、これは「何」(不定副詞)と「不」(否定副詞)の二つの性能を一詞にて表すのです。しかし時には、

  • 盍不為行 (莊子·盜蹠)
  • 闔胡嘗視其良 (同列禦寇)

の如きものがありまして、之を註して「盍、何也(今本作「盍、何不也」)」とある。「盍」が「何不」であるならば、「不」は余計であります。そこで註では「盍」には既に「不」の意義の無いものとして「何」としたわけでありますが、これを理論的に説明すれば「複性の単性化」という術語に凝縮できると思うのです。松下博士の言葉を引用すれば以下の如し。

「闔」は「何不」の意であるが一詞で疑問の意(何)と否定の意(不)との二義を表すのであるから二義の中の一方がやや不明瞭に感ずる場合があることを免れない。そこで否定の意がやや不明瞭で物足りなく感じた場合には、別に「不」を付け加えて「闔不」とする。「闔」は否定の意がないのではなく不十分なだけである。疑問の意が物足りなく感じた場合には、「胡」を付け加えて「闔胡」とする。「闔」に「何ぞ」の意が無いのではなく、唯不十分なだけである。「闔胡」は「何ぞ何ぞ~ざる」の意である。 (『標準漢文法』四〇八項)

松下博士は、あくまでも一方の意義の弱化として之を論じ、単性化とは決しておっしゃられておりませんが、弱化もそれが窮まれば結局単性化に同じことでありますから、程度の問題に過ぎないと考えます。実際、支那人の註では単性化としてあるではありませんか。

而してこれと先に挙げた「求捕與淮南謀反者」の「所」とがどう関連するのかと云えば、この「所」もまた単性化ではないか、というのです。『標準漢文法』(四一四項)には「所」の単性化を論じた箇所が既にあるのでありますが、そこでは「所」の名詞的用法のほうが無くなり、副詞的用法のみ残る、というのであります。従ってこれを「所の副詞化」とも言ってあります。ここに於いてか、私は「求捕與淮南謀反者」の「所」はそれとは反対に、副詞的用法が無くなり、名詞的用法のみが残っておるものではないか、と言うのです。「所の名詞化」と言ってもよい。この「所」は下の用言を実質語として、自らの形式的空虚を補填し名詞化するのみであると考えるのです。「者」が下に在る形式名詞であるのに対すれば、この「所」は上に在る形式名詞であります。「求捕所與淮南謀反者」を読み下して「淮南の謀反に与る所の者を求捕す」とするも、この「所」には副詞的用法は既に無いのです。または無いからこそ斯く訓ずることが出来ると言うべきでありましょう。

しかし、漢文の連詞構成の大原則は実質語が先で、形式語が後でありますから、漢人に於いてもこの用法はそれほど馴染まぬものと見えて、西田太一郎氏の言を引けば此くの如くあります、

「所」の字の不要な文が、億に一つ、兆に一つくらいの割合ではあるが、存在する場合がある (『漢文の語法』一八三項)

と。

王力氏は「所」の此くの如き用法を古代のものにして、動詞に附いて其の動作性を表示するだけのもので、動詞の一種の前加成分(prefix)に過ぎないものと述べております(『中国文法学初探』三二項)。すなわち、

不歸爾帑者、有如河 (春秋左傳文公)

の句は、「不歸爾帑、有如河」に同じであると言うのです。「所」を可有可無の記号としてみておるのです。「所」と下の作用詞との関係を連詞として見ると実質関係の原則に破綻を来たすものの、助辞として見れば其の問題は解消されると言えましょうか。

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